クリエイティブ・ディレクターに訊く(前編) 

「2つの問いかけ」を起点とした深い対話。
「優しい結界」はどのように立ち上がるのか。

クリエイティブ・ディレクターに訊く(前編) 

「2つの問いかけ」を起点とした深い対話。
「優しい結界」はどのように立ち上がるのか。

3人がつくりあげる「優しい結界」

東京、ソウル、中国、デュッセルドルフ、ポートランドの5都市を連携して開催される今年のコネクテッド・インク。各開催地では、それぞれに趣向を凝らした演出が用意され、「人間は、その起源以来、本当に進化してきているのだろうか?」「ワコムの道具は、本当に人間の創造性に寄与していると言えるだろうか?」 という「2つの問いかけ」に対して想いを巡らせる時間と空間が立ち上がる。東京の会場を満たす空気を醸し、没入的な世界を作り出す - 私たちは「優しい結界を張る」と呼んでいる - のは、板垣崇志(いたがき・たかし)氏と福田基(ふくだ・はじめ)氏、2人のクリエイティブ・ディレクター。コネクテッド・インク 2022の主催者であるワコム代表取締役社長・井出信孝(いで・のぶたか)を含めたチームが、対話を通じて理解を深め、想像を膨らませていく。その3人がどのようにしてコネクテッド・インク2022の世界観を形作っていくのか。前編となる今回は、主に「メッセージの言語化」を担う板垣氏の思考に迫りたい。



自然現象の一部として人間の存在を捉える

「るんびにい美術館(岩手県花巻市)」でアートディレクターを務める板垣氏。ルンビニーは、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)の生誕地と伝わるネパールの地名だ。「見る人が命を感じられるようなあらゆる表現物を紹介したい」というこのミュージアムでは「アウトサイダーアート(知的障害のある作者によるものなどを含む、既存の文化潮流や様式に囚われない独創によって制作された美術作品。アール・ブリュット(生の芸術)とも呼ばれる)」などを展示しながら、世界を区別するさまざまな境界を消し去ったその先にある「命の輝き」を見つめている。コネクテッド・インク2022で板垣氏が担うのは「メッセージの言語化」だ。冒頭に言及した「2つの問いかけ」、それを読み込み、対話を重ね、あらゆる角度から光を当て、解体し、立体的に再構築し、言葉へと落とし込む。板垣氏が語ってくれたのは「テクノロジーの進化と、その起点にある願い」の話だ。


「すべての出発点は、井出くんが発した『2つの問いかけ』です。井出くんが感じている『現在からの直線的ではない未来にある展開』。彼との対話を通じて、そのビジョンを言葉にしています。

『人間の進化と発展』において、その功罪を含め、テクノロジーは大きな存在でしょう。私は、『テクノロジーの発展』という営みを含めて、人間の存在そのものが自然現象の一部だと感じています。そのテクノロジーを人類史、生物史、地球史、宇宙史と巨視的に見たときに、果たしてどのような方向性にあるのか。そうした問いを投げかけるような言葉の提示を目指しています」


「テクノロジーの進化」の先に、人間の「願い」を見る

さらに板垣氏はテクノロジーと願いの関係について、深い思考の海から掬い上げた言葉を紡いでいく。


「テクノロジーというものは、私たちの『願い』を叶えてくれるものです。今はまだ実現できていない願いも、テクノロジーの進化によって次々と叶っていくでしょう。でも、それが叶ったとき、『それは本当に望んでいた願いだったのか?』と自分に問いかけることもある。実現したことで、その『願いの持ち方』が正しかったのか否かを改めて問い直すということですね。例えば、出生前診断のテクノロジーが進化したことで、すでに命の選別が始まっています。『遺伝的に完全であってほしい』という私たちの願いは果たして、実現したときに私たちの望みが本当に成就しているのでしょうか。正しい命と誤った命という、人間の存在を正誤で峻別することが、却って人間の意味を毀損してはいないでしょうか。願いというのは、叶えたくても叶わないうちは、ある意味では安全なんですよね。しかし、願い続ける限り、テクノロジーはいずれその実現を成し遂げるでしょう。願いの中には、おそらく、私たち自身を傷つける未来を手繰り寄せるものが紛れ込んでいます。一方で『人間性を毀損することのない願い』だって、私たちにはたくさんあります。『大切な人に触れたい』『愛に包まれたい』といった願いは、人間性を決して毀損しません。そうした願いを叶えるテクノロジーも存在しますよね。

そう考えると、テクノロジーの進化について思考を深めれば深めるほど、そもそもそのテクノロジーが叶えようとしている願いに思い至らずにはいられないわけです。無邪気に求められるが叶ってしまうと実は危うい未来をもたらしかねない『人間性を毀損する願い』と、悔いなく求め続けることができる私たちが自然発生的に持っている『人間性を毀損することのない願い』。その2つの違いについて、私たちは願いを持つ段階で峻別することができるのではないでしょうか。この点において、コネクテッド・インク2022が一つの警鐘の役割を果たせるかもしれませんね。

科学技術と倫理は、アクセルとブレーキの関係によく似ています。そして人間はこれまで、倫理で科学技術の発展に歯止めをかけることに失敗してきました。手が届くテクノロジーがあれば、人間は必ず実現させます。そうなると、高めていくべきは『願いの精度』なのではないでしょうか。井出くんは『森に帰る』というキーワードにも言及していますが、森こそが人類が始まった場所です。人間の願いが様々に枝分かれする以前の、樹を降りて森を出た人類が最初に抱いた願いから見つめ直してみたい。井出くんの感じる危惧は、そうしたテーマも含んでいるのだと思います」

人間の『願い』とは何か。その深淵を見つめる、優しくも鋭い板垣氏の洞察力に戦慄が走る。板垣氏が結んだ言葉を咀嚼し、音楽や舞台演出などのクリエイティブへと昇華させるのは福田氏の役割だ。後編では、福田氏の創作の過程を深掘りしていく。(後編はこちら

editor / text _ 川上主税(Chikara Kawakami)